◇活動報告◇

宮城県山元町を訪問しました

2011.8.16

津波の恐ろしさを未だに物語る様々な残骸。
現場に足を踏み入れれば、今までの考え方が変わります。
当たり前にあった感覚が当たり前ではなくなります。
想像ではなく、妄想ではなく。
現実を目の当たりにすることで、その現実をその場で受け止めなくてはいけません。
今も確かにそこにある崩壊した町々。

東京に戻ってから普通の生活の中で自分が撮ってきた写真を眺めていると、今、ここにある自分の世界とのギャップがありすぎて・・・。

現場では受けなかった別のショックを受けました。

見るのが辛くて、書くのが辛くて、なかなかブログアップの作業が進みませんでした。
また、写真の数が多いこと、名称なども間違えないようにと調べるにも時間がかかりました。

8月8日に現地コーディネーターの佐藤さんと共に訪れた被災地の様子です。
まずは行き〜宮城県山元町までの報告です。

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行きの新幹線からの風景。本当にのどかです。

福島駅から見えた光景。
子供達がサッカーをして元気に走り回っているのが見えました。

放射能のことで私の被災地訪問を心配してくれている友人もいますが、 私は、何かを気にし始めたら何も出来ない、と考える人です。

小さい頃に住んでいた区(札幌)の隣が白石区でした。
その昔、ここから北海道へ移り住んだ人々が白石村(→区)と名づけたそうです。

白石蔵王駅から山元町へ向かう道。普通車よりも瓦礫撤去のための車両の方が多く見られます。

ここもとてものどかで綺麗な場所ですね。

山元町中浜小学校。
校長先生の判断により屋上へ避難し、翌日、児童も教員も無事に全員救出されたそうです。

体育館の中の様子。まだすさまじい津波の威力を見せ付けています。

校庭には津波に飲み込まれた車両がいくつも置かれていました。
車の中から何も知らない植物たちが生えてきています。

使用不能な道路。

瓦礫の山がいくつも出来ています。

元は何の建物だったのでしょうか・・・。

「あの磯崎山公園からの眺めは最高でした・・・」と、佐藤さん。

車を停めて歩いてみました。悲しい写真ばかりです・・・。

中身の無い財布が二つ並んで置いてあるのも見かけました。

ただただ荒い波の音と重機の音だけが聞こえてました。

足元がとにかく危なかったです。

ネットで検索すると、元の綺麗な磯崎山公園の様子を見ることができます。

15名くらいの人が集まればここ一帯を一日で片付けることが出来るのではと思うのですが、一つ一つの町や市によって復興活動の状況が異なるようで、まだここは手付かずのようです。

車に戻りました。ここから先は福島へ通じる道路でした。

以前は通れたようですが、この日は通行止めになっていました。

崩れかかっている家屋。

津波が向かっていった方向へ倒されている橋の欄干。

「元の姿とあまりに変わりすぎて。何か分からなくなってしまいます」と佐藤さん。
たぶん、坂本駅です・・・。

常磐山元自動車学校。翌日の夜のニュースでここの話が出てました。
周囲には、教習所の車やら一般車両やらがもみくちゃになってました。

多くの方が犠牲になり、その遺族らが損害賠償請求訴訟を起こしている自動車学校です。
ニュースを見ながら鳥肌がたちました・・・。

上に載せたエレクトーンが倒れているお宅もこの近くです。

もう電車は通れません・・・。

元々“立ち飲み屋”なのか、普通の居酒屋だったのか。

周りは悲惨な状態をそのまま残していますが、ここでは今でも常連客が自分のお酒を持ち込んで集っているそうです。

この後に支援させて頂いた山下中学校へと向かいました。

あのような悲惨な場所を見たせいか、初めてお会いした顧問の先生や生徒さんに対してよく生きていてくれた・・・と、思ってしまいました。

この山元町に家があり、津波で流され、仮設住宅から通っている子。
お友達が通っていたピアノの教室が流されたらしい、と教えてくれる子。
お友達が亡くなったと語る子・・・。

みんなのお役に立てればいいのですが・・・続きはまた日を改めて書きます。